投稿日: 2017年3月22日 9:00 | 更新:2024年2月6日15:51
「世の中に簡単な治療はない」と考え
日々多くの症例を油断せず確実にこなす
日本人の死亡数が多く、恐ろしい疾患である心筋梗塞や、その前触れである狭心症。これらの疾患に対する有用な治療として普及してきたのが、開胸せずに行われる心カテーテル治療。三角和雄医師は同治療を早くからアメリカで学び、現在では国内トップクラスの症例を手がけている。
■取材
千葉西総合病院 院長兼心臓センター長
三角 和雄 医師
内科そのものの臨床に優れていなければならない
──今の分野を志した経緯について教えてください。
三角 小学校2年生までは佐藤栄作総理大臣(当時)に憧れており、そこから「東大法学部→大蔵省→総理」という青写真を描いていました(笑)。
ところが、小学校3年生のとき、リウマチ熱で2カ月入院することになりました。ここで、父の同級生だった小児科医の先生に大変よくしてもらったのです。このときから医師への関心が高まり、小学校高学年の頃にはすでに医学の道に進もうと固く決めていました。
そういうきっかけもあり、東京医科歯科大学に入学して初めの頃は、進む領域として頭にあったのは小児科や脳神経外科でした。それが変わったのが、医学部6年生で受けた、アメリカ・フィラデルフィアの小児病院での実習です。この時に指導してくれたのが小児カテーテルの世界的権威。カテーテル治療が低侵襲であるところ、患者さんの負担が小さいところに、がぜん興味を持つようになったのです。
当時の大学は医局制で、専門分野を決める必要があります。私は大いに迷ったのですが、成人の循環器疾患、中でも心カテーテル治療を選択しました。そして先進的な技術や機器を学ぶならやはりアメリカだと思い、まずは向こうの大学で臨床を基礎から勉強することに。そこからはアメリカでの臨床一筋です。
当時、日本には「カテーテル治療以外はどうでもよい」という風潮がありました。しかしアメリカでは「屋根瓦方式」、つまり、一般内科を土台に循環器内科があり、またそれを土台にカテーテル治療がある、と積み上げていくやり方が採られていました。
これは、「カテーテル治療は内科のごく一部。この治療を行う医師は、まず内科そのものの臨床に優れていなければならない」との考えに基づくものです。私も自分の弟子には「カテーテルしかできない『カテーテル馬鹿』にはなるな」と日頃、口を酸っぱくして言っています。
普通の生活ができなければ治癒したことにはならない
──米国ではどのようにして技術を培ってこられたのでしょう。
三角 私には当初から「全身のカテーテル治療を学ぼう」という意識がありました。心臓だけを治しても、足の血管が詰まれば動けません。首の血管が詰まり、脳梗塞になってしまうのも然り。きちんと動けて食べられる、普通の生活ができるようでなければ、治癒したことにはなりません。こうした考えから、米国ではまずピッツバーグ大学で内科全般、そしてカリフォルニア大学アーバイン校で心臓全般のトレーニングを行い、さらにUCLA関連病院で頸動脈や腎動脈、腹部や下肢血管といった領域の訓練を受けたのです。この間ダイヤモンドのドリルで血管内の石灰化病変を削るロータブレーター、血栓を蒸散させるエキシマレーザーなどの最新治療も学ぶことができました。
そうしている間に自分の腕を振るう場所が欲しくなりました。そこでハワイ大学に籍を置きながら現地で開業する経験を積んでいたところ、家族の事情で日本に帰ることになったのです。当時、私はロータブレーターを得意としていましたが、日本では大学病院をはじめ、それを行える施設はほとんどなかった。その、可能な施設の1つが千葉西総合病院だったのです。
──質の高い医療の実現において必要と考えていることは何ですか。
三角 よく「医療は量ではなく質」という人がいますが、それは間違いでしょう。経験を多く積み重ねるほど、多くのケースに遭遇することができ、その結果としてどんな合併症にも対応できるようになる。症例数、つまり量が多くないと、医療の質を担保することはできません。
また、どんな治療にも言えると思いますが、「絶対にやらなければいけないこと」と「絶対にやってはいけないこと」をよく理解し、途中で端折ったり、横着したりすることなく、丁寧に守っていくことです。一般社会では、皆がルールや法律を守っていれば事故や犯罪は起きないはず。イレギュラーなことをやろうとするからおかしくなるわけです。医療もこれと全く同じです。特別に難しい症例を好んで行う必要はなく、普通の標準的な症例を確実にこなす――これが大事であり、そして実は意外と難しいことなのです。
そして、世の中に簡単な手術は存在しません。存在するのは普通の手術と難しい手術の2つだけであり、「この手術は簡単だ」と思ってはいけないのです。合併症の多くは、「簡単だ」と思う、その油断から生まれるのです。難しい手術は確かにハイリスクですから、そこは認識しておかなければいけません。開始前から「難しい手術」と思っていれば自然と慎重になり、結果として合併症は少なくなります。
もう一つ、治療現場で最善の結果を求めるのは当然ですが、同時に最悪の状況を絶えず予測しながら動かなければいけません。たとえばカテーテル治療中に不整脈が起きた。それをあらかじめ予想し、最初から電気ショック用の器具を近場に持っておけるか。レントゲン技師、看護師はどのような対応をするのか。これは消防訓練と同じで、危機が起こったときの対策プランA、B、Cを自分たちの引き出しの中に置いておき、「こうなったらこうする」訓練を普段から行う必要があるのです。
危機管理の例として、緊急手術が必要なのに心臓血管外科医がいない、という場面も挙げられます。ハイリスクな症例では、あらかじめ心臓血管外科医に声をかけておき、同外科医の手が空いている状態にしておくことが肝要です。それができなければ、私はカテーテル治療を行いません。米国時代、心臓血管外科医のいない施設ではカテーテル治療ができないようになっていました。それは当たり前の話で、救急車で搬送しても時間的に間に合わないからです。
──「優れた医師」になるためには、何が必要だと考えていますか。
三角 人それぞれ基準があると思います。患者さんとのコミュニケーションを重視する人もいれば、技術そのものを追求する人もいるでしょう。もちろん、それらはすべて「優れた医師」に求められる要素だと思います。でも私の考えを一つ言わせていただけるなら、「優れた医師になるのに、決してヒーローになる必要はない」ということです。「俺にしかできない治療」といっても、本当に難しい治療は全体の1割もありません。難しい治療ができることは確かに医師の優秀さを示す条件の一つではあります。
しかし――繰り返しになりますが――標準的治療、当たり前のことを普通にきちんとこなし、合併症などの「取りこぼし」をしない。それこそが、優れた医師になるために最も必要なものだと思います。「努力に勝る天才なし」です。
──信頼できる施設を探す際、何をすべきでしょうか。
三角 疾患になって最初に選ぶ施設と、セカンドオピニオンやサードオピニオンを受ける施設で基準が変わってきます。前者の場合、月並みですが患者さんの訴えを真摯に聞いて、よく理解し、低侵襲検査を必要に応じて行うなど、素早く誠実に対応してくれる施設ということになります。対して後者の場合、技術的側面がかなり問われることとなり、経験数がカギとなります。大事なのは患者さんご自身が、どちらの段階にいるかをしっかり把握することです。
もう一つ重要なのが、患者離れのよい施設、つまり患者さんを抱え込まない施設を選ぶことです。「抱え込む施設」の多くは、心カテーテル治療にすべき症例で手術をしたり、心カテーテル治療では難しい症例をあえてカテーテルで治療したりと、バランスを欠く例が多いものです。「セカンドオピニオンを受けてもいいですか」、「他の施設を受けてもいいですか」という問いに「いいですよ」と快く応じる医師、施設は、その意味で信頼できると思います。