投稿日: 2024年2月16日 12:00 | 更新:2024年2月16日13:41
手術時間の短縮こそが低侵襲そのもの
東京・府中市の榊原記念病院の3階廊下には、場に不似合いな人工心肺装置がひっそりと置かれている。約60年前の発表当時最新鋭とされた装置で、ドラムセットのように大きい。この装置の開発は心臓手術を飛躍的に前進させたが、患者の全身循環を人工的に維持するため、手術が長時間に及ぶと身体への負荷を避けられない。この負荷を「侵襲」というが、高橋幸宏医師を支えてきた信念は「低侵襲手術」の一言に凝縮される。
「手術そのものが侵襲であることに加え、全身の臓器発達が未熟な小さな子どもに、体外循環を行うと、さらに悪影響を及ぼすこともあります。感染のおそれのある輸血もなるべくしたくない。すると必然的に手術を迅速に行わなければならない。そのためにどうしたら良いのかをずっと考えてきました」
先天性心疾患は100人に一人とされる発生率の高い疾患である。何らかの理由で心臓の形成不全が起こり、心臓の壁に穴が空いていたり、心臓の部屋が一つしかなかったり、弁に狭窄や逆流があったりと多様だ。
高橋医師がこれまでに向き合ってきた子どもたちは7000人にも及ぶ。年間500例の手術に何年も取り組んできた。今も全国から救いを求め、親子が訪ねてくる。
「いつの間にかそのような症例数になっていたというだけです。私たちは外科医としての環境に恵まれていた。今では医療現場の状況や働き方も変化し、それほどの症例数は扱えないと思います」
子どもの心臓治療一筋に40年近く。その手技の一つひとつが子どもたちの生命に直結した。
「確かに、病気の中には難しい手術もありますが、実は小児の心臓手術はシンプルな側面もあります。成人の場合、糖尿病や動脈硬化など、ほかの疾患を考慮して手術を進めていく必要がありますが、多くの場合小児にはそれがない。従って、私たちは先人たちが残した基本手技を組み合わせて正確な手術を行えば、素直に心臓が反応してくれるのです。それに工夫や改良を加えられるのが良い外科医ということでしょう」
月25日の宿直勤務で腕を磨き、頼られる存在に
呉服店の長男として育ったが、外科医の叔父の影響からか、すでに小学2年生の頃には医師を志していたという。医学部卒業間近に榊原記念病院を訪ねたが、「『何にもできないやつはいらない』とけんもほろろでした」
その2年後、念願がかなって同院の研修医に。伝説ともなっているのが月25日の宿直勤務だ。今では考えられないが、「単純に残業しないと生活できなかっただけです」と笑う。深夜に人手が足りなくなるとすぐに呼び出しがかかり、手術や術後管理を手伝ううちに、頼られる存在となっていった。
「宿直していれば誰でもよかったのでしょうが、そこ、つまり現場にいることが大事だったのだと思います」
そのような努力の甲斐があって、わずか4年10カ月で患児の家族に対して自らの手術プランを説明し、同意が得られれば執刀できる資格を得た。術前の説明と同意を「インフォームドコンセント(IC)」というが、自らは、「ムンテラ」という昔ながらの言い方を好む。
「ICというのは結局、親御さんに全ての判断を任せてしまうということ。わが子の手術が不安で仕方がない親御さんに冷静な判断は難しいです。そんな時は、『必ず私が治します』と言ってきました」
手術室はチームで卓越した技能を見せ合う場
術者としての技量の高さを求めると同時に重要視してきたのが、チームとしての完成度だ。
「心臓外科はチーム医療の最たるものです。手術室は、外科医、麻酔科医、技士、看護師たちそれぞれが卓越した技を見せ合う場です。決して仲良く若手を教育する場ではない。レベルの高い手術のためには誰が何をしているのか手術全体の『流れ』をつかんでおかなければなりません。だから若い医師は手術室でそれぞれの動きをよく見て研鑽を積まないといけないのです」
そのうえで、「確かに人工心肺装置は昔とは比べものにならないほど進化し、手術機器も驚くほど便利になっています。でも、外科医の腕は昔より上がっているのかどうか。手術は結局のところ手の『術(すべ)』なのです」
現在でも、難症例を中心に年間約100症例を執刀している。後進への指導は今でも厳しく、注文も多いが、信頼できる、任せられるという確信があるからこそ、自らの執刀数が減少しているのだろう。
一昨年、これまでの榊原記念病院で行われた低侵襲手術をまとめた記録本「榊原記念病院 低侵襲手術書」を出版。写真や図をふんだんに使い徹底的に低侵襲の解説にこだわった一方、自らの執筆によるやわらかいタッチのQ&A方式のコラムも多数掲載。読み物としても楽しめる異色の医学書として注目を集めた。
「定年までもう少しですが、看護師さんにモテなくなったらメスを置きます」
看護師さんにモテないとは、自分を超える技量の医師が現れることを意味している。だが、その表情にはまだまだ多くの子どもたちを救うために尽くしていくという意欲が現れていた。
※『名医のいる病院2021』(2020年12月発行)から転載
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