投稿日: 2024年3月17日 20:00 | 更新:2024年3月17日11:24
関節の損傷、筋肉の断裂などで戦列を離れるアスリートの故障には、スポーツ医学領域のチーム医療による手厚いサポートが存在する。一方、楽器を奏でる音楽家などアーティストは、スポーツ選手に比べ、受けられる専門的医療が手薄との声もある。
そんな実情を踏まえ、千葉大学医学部付属病院整形外科は2018年9月から、音楽家やダンサーなどのパフォーミングアーティストを専門に診療するパフォーミンググアーツ医学外来を開設した。そこで外来診療を担当する、整形外科・手外科グループ、臨床研究開発推進センターの金塚彩医師に、演奏という繊細な技工の裏にある音楽家の悩みをどう解決しているのか、話を伺った。
そんな実情を踏まえ、千葉大学医学部付属病院整形外科は2018年9月から、音楽家やダンサーなどのパフォーミングアーティストを専門に診療するパフォーミンググアーツ医学外来を開設した。そこで外来診療を担当する、整形外科・手外科グループ、臨床研究開発推進センターの金塚彩医師に、演奏という繊細な技工の裏にある音楽家の悩みをどう解決しているのか、話を伺った。
実際に楽器を持参してもらい、楽器の演奏状況を診察
パフォーミングアーツ医学は1980年代頃から欧米を中心に発展。それまで、音楽家などのアーティストに特化した診療は特段存在しなかった医療事情に風穴を開けた、新たな医学分野だ。
「私どものPAM(Performing ArtsMedicine=パフォーミングアーツ医学)外来では、手外科領域の疾患がある音楽家さんを、その方の弾く楽器の特性を理解したうえで寄り添い、診断と治療を行います」と話す金塚医師は2009年に千葉大学整形外科に入局。その後、2016年、ドイツのベルリン・シャリテ医科大学に短期留学、2017~18年は英国のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の大学院、PAM学科で、日本人で初めて学科を修了した。
同外来では金塚医師の専門が手外科であることから、主に音楽家の上肢の痛みやしびれ、動きにくさなどを診療している。週一回診療日を設け、受診には紹介状が必要。PAM専門の問診票を用い、楽器の演奏状況も診察するという。
「PAM外来の基盤は整形外科・手外科としての診療であり、対象疾患は音楽家の方に生じた通常の手外科疾患です。例えば、バネ指、腱鞘炎、変形性関節症、絞扼性神経障害(胸郭出口症候群、肘部管症候群、手根管症候群)、デュピュイトラン拘縮、関節リウマチ、ガングリオン等の腫瘍、Overuse(使い過ぎ)/ Misuse(誤用)症候群などです。基本的な診察科目に加えて、演奏障害を診察する点が特徴です。受診する患者さんにはなるべく、楽器を持参していただき、目の前で演奏してもらいます。姿勢や弾き方にMisuse(誤用)の要素があれば、これを修正することで症状が改善することもあります。楽器によって演奏姿勢が違うため、同じ疾患でも演奏障害の出方が異なり、治療戦略を変える必要があります。手術症例では早期演奏復帰を目指し、楽器を使ったリハビリテーションプログラムを導入しています。フォーカルジストニアの診療においては、脳神経内科、精神神経科、リハビリテーション科と連携しながら取り組んでいます」
上肢機能障害を三次元的動作解析システムで解き明かしたい
現在、金塚医師が取り組んでいるのが、上肢の三次元的動作解析に関する研究だ。
「実は上肢、特に手や指のバイオメカニクスは分かっていなことが多いのです。物をつまみ、握る、引き寄せる、このような基本動作と比較して、演奏動作は複雑で難易度が非常に高いものです。現在、光学式三次元的動作解析システムを用いて、上肢の動作解析を行っています。音楽家の演奏動作をこの手法で分析することで、診断や治療に役立PAM領域のエビデンスを構築し、診療に還元したいと考えています。大学病院内の『動作解析・ PAM診察室』に本システムを設置し、活用しています。大きな音が出る楽器もあるので、このような独立した診察室があると診療しやすく、患者さんにとってもご安心いただける環境だと思います」
金塚医師は改めて、楽器を実際に演奏する意義を、こう説明する。
「疾患を伴う、楽器の弾きにくさや辛さを言葉で説明するのは、とても難しいものです。しかし、楽器を弾く姿こそが、患者さんの愁訴を雄弁に物語ってくれます。診察には欠かせません」
この外来には、幅広い世代の多様な種類の楽器奏者が国内外から来院しており、患者の演奏楽器には、ピアノ、ヴァイオリン、フルート、ギターが多いという。なかでも、ピアノが大半を占めるそうだ。
「演奏で起こる疾患は、演奏のし過ぎ(Overuse)や誤用(Misuse)症候群、腱鞘炎などがあります。この場合、演奏習慣の見直しや、テクニックの修正が必要になります。演奏とは関連なく、発症する病気もありますね。例えば、手掌の親指側がしびれる手根管症候群。音楽家は指先の感覚で音程や音色を調整していますから、しびれなどの感覚障害があると、指先のコントロールがしにくくなります。治療のタイミングを逃さないことが大事です。あるいは、手指の変形性関節症(へバーデン結節やCM関節症など)はときに強い痛みを感じます。例えば、ピアノの打鍵、ヴァイオリンのビブラートの際、痛くて思う通りにできないことがあります。装具やリハビリテーション通院、注射などを組み合わせながら対応します。コンクールやコンサートの予定も考えながら、治療計画を練ります。骨折や腱損傷などの突発的な外傷では、術後早期の演奏復帰を目指したリハビリテーションプログラムを組みます」
PAMを志した経緯と今後の展望
同院のPAM外来の開設は金塚医師が胸に秘める、ある気概が込められている。きっかけは医学生時代に経験した骨折だった。金塚医師は子どもの頃から、ヴァイオリンやピアノ、フィギュアスケート、バレエなどのパフォーミングアーツの習い事が多かった。医学部入学後も、オーケストラでヴァイオリンの主席奏者、コンサートミストレスを務めていた。
「そんな折、体力作りのために始めたスキーで右腕を骨折したのです。その時の担当医は、骨折した骨がくっつくかどうかに最も関心があり、いつからギプスを外し、どんなリハビリをして、何週間後に練習を再開していいのかを提示してくれることはありませんでした。私のヴァイオリニストとしてのパフォーマンスをどう回復させるかについては、助言が難しかったようです。この時、アスリートにはスポーツ整形外科があるのに、なぜ、演奏家には専門に診てくれる医師がいないのだろうと、疑問に思ったのです。医師になったら、音楽家の人たちの役に立ちたいと思ったのはこの時からです。ドイツ、イギリスに留学してPAMを学び、国内での診療を本格化しました」
金塚医師が当面の課題としているのが、日本にPAMを根付かせ、研究を押し進めるための土壌作りだ。
「診療経験を積むと同時に、PAMを学問として追求することが必要であると考えています。そのためには、動作解析によるバイオメカニクスの解明が役立つと考えています。例えば、手術の術式を選択する時、この楽器演奏には、この関節の可動域はこれだけ必要だから、演奏機能の損失を最小限にとどめるためにはこの術式が適切だとか、ヴァイオリンのリハビリテーションではこの可動域を優先的に獲得できるようなプログラムを組むことで演奏復帰がスムーズになる、というようなことが具体的に言えるようになります。一人ひとりの患者さんの診療を大切にしながら、両立していきたいと思います」
今、日本はPAMの黎明期。金塚医師の奮闘はまだ続きそうだ。
※『病院の選び方2023 疾患センター&専門外来』(2023年3月発行)から転載
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