在宅患者さんのスピリチュアル・ケアについて

在宅患者さんのスピリチュアル・ケア


鈴木内科医院 院長 鈴木央
スピリチュアル・ケアとは?
最近がん末期ケアの現場で盛んに用いられ始めた言葉です。がんという困難な病気に直面し、生きることそのものに疑問を抱き、自らの人生の意味、死後の恐怖などについて苦しみを抱くことになります。これらをスピリチュアル・ペインと呼び、身体的な疼痛と同様に癒していくことをスピリチュアル・ケアと呼んでいます。
この概念の発祥は欧米でありますので宗教(特にキリスト教)的な側面が大きいため、「スピリチュアル」とは「神の前で、霊と肉を持つ存在である人間の霊」という概念が最も近いとおもわれます。日本人にとってはさらに意訳して「人間として生きること」として捉えてよいとおもいます。
がん末期患者さん以外でもスピリチュアルな問題は生じ得ないのでしょうか。その答えは皆さんがよくご存知のように、神経難病患者さん、寝たきり高齢者など、強烈なスピリチュアル・ペインが患者さんを苦しめています。
「私の人生の意味は何であったのだろう」
「何も悪いことはしていないのに、なぜ私がこのような病気になるのだ」
「私がこれから生きていく意味は?」
「このまま生きていても家族に迷惑をかけるだけだ。早く死んでしまいたい」
皆さんも在宅患者さんのそばでこのような叫びをお聞きになったことがあるのではないでしょうか。ある意味では、がん患者さん以上に深刻な問題といえるかもしれません。
もう少し難しい話を…
少し難しい話ですが、研究者は生きることの構造を以下の3種類に分類しています。
・時間存在としての人
・関係存在としての人
・自律存在としての人
このように分類されても書いている私にもよくわかりません。そこで、このそれぞれの存在が傷つけられたときの症状を簡単に書くと
・時間存在の喪失→未来(すなわち希望)の喪失
・関係存在の喪失→自分という存在が消えてしまう恐怖
・自律存在の喪失→セルフケアができなくなった自分の無価値感
となります。こうすると皆さんにも思い当たられる部分があるのではないでしょうか(表1)。
このように自己存在意義の喪失がスピリチュアル・ペインの大きな要因と考えていいのではないでしょうか。心に大きな穴があいてしまった状態といってもいいでしょう。
もちろんこれらがスピリチュアル・ペインの全てではありません。人間の精神はより複雑で、それを全て解明することは大変困難です。また、人生の意味に答えを出すことは、誰にとっても大変難しい課題だと思います。そこで、ここでは自己存在をひとつの手がかりに、ケアの進め方を考えてみることにしましょう。

 

傷害されるとその結果
時間存在将来を失う希望のない現在が無意味となる
関係存在他者を失う自己存在の意義がなくなる
自律存在自分で自分のことができなくなる他者に依存、負担をかける
自分への無価値観
表1
スピリチュアル・ケアの進め方
えらそうにこんなことを書きながらも、私は特別な姿勢でケアに当たる必要はないのではないかと思っています。患者さんを「人として対峙する」ことが最も重要なのであって、特別な知識や技術が必要になるわけではありません。宗教家やカウンセラーが必須なわけでもありません。無意識のうちにご家族や訪問ナース、ヘルパーさんなどがそのようなケアをすでに行っておられるのではないでしょうか。
生きる意味は何でしょう。死後の世界とは何でしょう。私は答えを出すことはできません。おそらく皆さんも、そしておそらく宗教家でさえも…。患者さんが欲しているのは答えではなく、その問いかけを行わなければならない自分を理解してほしいのかもしれません。大事なことはその苦痛に共感し、ともに考えることではないでしょうか。難しく考えることはないのかもしれません。それでもいくつかの重要なポイントを整理してみました。参考になれば幸いです。
傾聴
基本中の基本はコミュニケーションをとること、特に話を真剣な態度で聞くことにあります。言葉を発することができない方でもできる限り、その人の、考え方、つらいこと、うれしいことを把握していきます。ここで重要なのは、自らの信念や考え方と患者さんの希望が異なっていたとしても、まずはこれを否定せず受け入れることです。もし、患者さんが「早く死んでしまいたい」とお話になったときも、「しかし…」や「でも…」と否定的に話をはじめるのではなく、なぜそのように感じるのか、と聞くことが重要なのだと思います。おそらくは患者さんは、「早く死んでしまいたいほど苦しんでいる自分」を理解してもらいたいと思っているのではないでしょうか。
このように、患者さんの言葉に対しての何気ない私たちの反応も、大きな意味を持つことがあります。やはり真剣に受け止め、患者さんが何を苦しみ、何を望んでいるのか、真剣に考える必要があります。その過程の中で患者-治療者、または患者-介護者などの関係を超え、人格ある人間に敬意を持って接することが求められていきます。
受容と希望 時間存在への対応
病気を受け入れるためには、生きていくための希望は捨てなければならないのでしょうか。完治をする望みは全てあきらめなければならないのでしょか。私はその必要はないのと思います。状況を受け入れることと、希望をもつことは別のことです。奇跡が起きるかもしれない希望を持っていても何ら状況の理解を妨げないと、私たちは考えています。例えば代替治療の問題もあえて治療上、経済上のマイナスにならなければ私は基本的に反対いたしません。もちろんあまりにも代替医療を盲信してしまい、当方の診療に支障をきたす場合は、効果についてのエビデンスがほとんどないことを伝えさせていただいています。
「希望」をもつことは未来に自分の存在を見出すことになります。先ほど述べた時間存在への対応の一つとなりえるのです。患者さんやご家族が「直るかもしれない希望」を持っていたら、「病状の理解が出来ていない」ととらえてしまう医療者も少なくないかもしれません。
さらに時間存在の危機に対しては、時間を超えた自己の存在を認識していただくこと(少し哲学や宗教の分野に入り込むことになるかもしれません)や、過去からの自分の存在を「自分史」として認識いただき、現在の自分を取り戻すやり方もあります。
いずれのやり方も患者さんやご家族が自ら「気付く」ことが重要です。あえて答えを誘導したりしないほうが、時間はかかるもののしっかりとした「気付き」になるように思っています。結局「一日一日を一生懸命生きることが最も重要なことである」ということにつながっていくのではないでしょうか。
関係存在への対応
関係存在という言葉は少々わかりにくいのではないでしょうか。それぞれの方にとって最も重要な人間関係のことを考えていただければよいと思います。親子関係や家族関係となることが多いように思います。その強いつながりが自らの病気のために消えてしまうため、自分の存在が無意味になってしまうということです。在宅難病患者さんのケースでは御家族とのつながりが重要な鍵になるのではないでしょうか。後に述べる自律存在にもオーバーラップしてきますが、患者さんがいるがゆえに家族が協力し合い、以前より意味を持って生活していることを認識していただくように努めます。
自分で自分のことができない… 自律存在への対応
在宅での難病患者さんは、家族や周囲に負担をかけてしまう自らの無価値感に苦しむことが少なくありません。「自分は家族に負担をかけているだけのお荷物だ。早く消えてなくなればよい。」珍しい発言ではありません。単に抑うつ状態に陥っているわけでもありません。多くは排泄や摂食というプリミティブな部分まで他人の力を借りなければならないことなど、ケアを行う側から見てもこれらの事実を否定することはできません。
ケアの第一の鍵は、「選択をする自分」にあります。どのような自律存在の危機であっても患者さんは「選択」をすることが可能です。情報を十分与えられていれば、それを吟味し、最終的な方針を選択することが可能なのです。ある意味では選択をすることができることが「人格」そのものであるかもしれません。私たちも「選択」を繰り返していくことによって人生を送っているといっても過言ではありません。したがって「選択」をできることは人生の主体者であることに他なりません。私たちと何ら変わることはないのです。この点に患者さんに気付いて頂くべくケアを続けます。したがって患者さんの「選択」はきわめて重要な意味を持ちます。ケアを行う人間の信念にとって受け入れがたい「選択」であったとしても、この「選択」が否定された場合、この論理で考えれば患者さんの人間としての存在が否定されたことと同様に意味を持つのです。
第二の鍵は「できることを見つけること」です。先ほど述べた「選択」も患者さんにできる最も重要なことですが、患者さんには何かできることがあります。皆でこれを見つけていくのです。たとえば、家族にとって患者さんの存在そのものが、絆となっていることもあります。病気をしなければ、家族の暖かい愛情に触れることができなかったこともありえます。自分史は家族に新しい発見をさせ、患者さんの歴史が家族に受け継がれるかもしれません。必ず何かできること、病気になったことでよかったことがあります。
第三の鍵は「現状を否定しないこと」にあります。現状を「悪くない」と考えることができれば患者さんにとっては決して不幸ではないということになります。例えば「病気をしたことは確かに幸福とは言えないかもしれない。それでも、あなたが築いてきた家族があなたを気遣い、自分の家でケアを受けておられる。このことは決して不幸ではないと私は思う。あなたはどのように感じるだろうか。」などのアプローチがあるのではないでしょうか。
これらが私たちの行なっているスピリチュアルなサポートの一部です。それぞれの介護者、患者さんの数だけ無限に答えがあるのではないでしょうか。この答えを探す過程こそが最も重要な解決になるように思います。
私たちも受け入れること
それでも、患者さんが「選択」できないとき、「現状を肯定できない」ときもあるでしょう。病状が大きく変化する時期には、感じ方もその日によってコロコロと変わることもあります。強要をせず、患者さんの心の変化を受け入れることも大切なことです。患者さんが自己の状況を受け入れるのと同様に、私たちもそのままの患者さんの状況を丸ごと受け入れるべきなのだと思います。
できることをできるだけ
このようなケアを行うことは介護者にとっても自己の存在を強烈に問い直すことにつながります。ケアの結果がよい方向に向けば精神的に報われますが、よくない方向、例えば患者さんの死や、悲嘆、病状の悪化、心を開けないことなどによって、介護者自身も傷つく可能性は十分にあります。患者さんも介護者が自分のために傷つき悩むことを決して望んでいません。むしろこのような介護者が面前にいたとしたら、前述したように自らの無価値感という自律存在危機によけいに陥ってしまうかもしれないのです。ケアを行うわれわれもただの人間ですぎず「できることしかできない」のです。さらに進めていえば「できることをできるだけ」やっていくしかないのだと、私は最近感じています。
そのために介護者、特にご家族は自らの「燃え尽き」に注意する必要があります。休むべきところは休み、可能なかぎり気分転換が必要です。なかなかそのような気持ちになれず、実際に時間も取れないことも多いかと思いますが、社会的資源を利用しながら、患者さんのためにも自らを支えていかなければならないと思います。
もっと進めれば、「できることをできるだけ」というキーワードは患者さん自身、ご家族にもそのまま当てはまっているのではないでしょうか。一日一日を大切に過ごすこと、限られた身体能力へのジレンマ、やりたいことがあってもなかなか手につかない現状への閉塞感、そして治癒への希望。私は「できることをできるだけ…」とお話することしかできません。
まとめ
スピリチュアル・ケアと特別な言葉で語られると、今まで見落としてきた領域のように考えがちですが、生と死の問題は宗教を通して有史以来人間が問い続けてきている問題です。「存在」を生きる意味として考えると、この問題を考えなかった方はいないのではないでしょうか。難病患者さんも、がん患者さんも、高齢者も、そして私たちも抱え付き合っていかなければならない問題です。
前述したように答えを出すことは求められているわけではありません。真摯に向き合うことが重要なのだと思っています。このような関係を築くこと、その人間関係そのものが癒しとなるのではないでしょうか。
【参考文献】
1. 死の臨床10 スピリチュアルケア 日本死の臨床研究会編 人間と歴史社 2003年
2. スピリチュアル・ケアについて
【関連情報】
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