【名医からのメッセージ~トップランナーが語る半生】003 大野 真司(乳腺外科医)第2回

【名医からのメッセージ~トップランナーが語る半生】003 大野 真司(乳腺外科医)第1回

各領域のプロフェッショナルである「名医」へ、その生い立ち、医師になったきっかけ、実績、そして未来へのメッセージをインタビュー。 
 
一般生活者へ最新医療を啓蒙、医師へのメンタルブロック解消により病院や医師選びの選択肢の拡大を実現し、個々にとっての最適な医療の受診につなげることを目的にしています。
3人目は乳がん治療におけるプロフェッショナル 大野真司先生(相良病院 院長)です。
7回にわたるシリーズの2回目は「生い立ち、そして医師を目指したきっかけ(後編)」になります。

第2回:運命を感じて第二外科へ
念願の野球部にて活躍
—大学では野球部で活躍されたそうですね。
大学では、ようやく念願の野球部に入ることができました。1つ上の先輩には、高校時代の野球部のキャプテンがいて、彼に引っ張られる形で6年間、野球三昧の生活を送りました。5年生のときには、西日本医科学生体育大会(西医体)で3位になり、全日本の大会にも出場しました。
大学野球にて
大学野球にて(バッターが私)
肝心の勉強の方ですが、教養課程の1年、2年の頃はあまりやることがなくて、1年生のときは麻雀三昧の日々でした。しかし、このままで良いのかと自問自答し、麻雀は辞めることにしました。
3年生から基礎医学の授業が始まりました。基礎医学は難しく、留年する人も多かったため、そこから本格的に勉強に力を入れるようになりました。特に一番勉強したのは、大学の卒業試験のときでした。
臨床実習で命の尊さを感じる
—医学部での臨床実習で、特に印象に残っているエピソードについてお聞かせください。
臨床実習で最も印象的だったのは、不妊治療を受けていたお母さんが妊娠したときの喜びの瞬間です。そのときの彼女の喜びようを目の当たりにして、人の命が授かることの大きさと素晴らしさを強く感じました。この経験を通じて、将来は産科医になりたいという思いが芽生えました。
医学部卒業時(左から3人目が私)
医学部卒業時(左から3人目が私)
運命を感じて第二外科へ
—外科医を専攻されたきっかけについてお聞かせください。
父親が肝臓の病気で亡くなったことから、肝臓内科医になりたいとも思っていました。しかし、野球部の先輩たちには外科医が多く、医局の野球大会での交流を通じて、外科に憧れるようになりました。
当時は、医学部卒業までに医局を決める必要がありました。第一外科か第二外科で悩んでいましたが、野球部の多くの先輩が第一外科に進んでいたため、私も第一外科に進もうと思っていました。しかし、高校時代の野球部のキャプテンだった先輩が第二外科にいて、その先輩から飲み会に誘われました。
その飲み会で、先輩は勧誘の甘い言葉ではなく、患者さんが癌で亡くなったなどの辛い話を率直にしてくれました。この飲みの席には、私のほかに野球部の友人も参加していたのですが、先輩の姿勢に感動し、二人ともその場で「第二外科に入ります」と断言してしまったのです。
翌朝、酒の席で決めたことなので、友人と「これはまずいよね」と話し合い、二人で第二外科に断りに行きました。しかし、意に反して教授室に案内され、教授が湯呑茶碗で日本酒をごくりと飲み、我々にも茶碗を渡して日本酒を注ぎました。私たちはそのお酒を飲んで、「お世話になります」と「固(かため)の盃」を交わしてしまいました。
友人と私は「これはきっと人生がここに進めっていうことなんだ、これを断るのは神様に逆らうことになるんだから、行くしかないな」と運命を感じて、第二外科に決めました。その後、友人と二人で切磋琢磨し、一緒に講師も務めるようになりました。その友人は私にとって今も大事な親友の一人です。
—3回目は「医師になってからの軌跡(前編)」になります。
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