投稿日: 2017年10月27日 9:49 | 更新:2017年10月31日9:50
脳外科手術に顕微鏡を導入した
「ホワイト・ジャック」と呼ばれる医師
脳神経外科手術、中でも脳動脈瘤の治療において、顕微鏡下手術(マイクロサージェリー)を国内に導入し、今も第一人者として多くの症例の治療や、後進の育成に携わっている佐野公俊医師。その技術がいかに培われてきたのかを探る。
■取材
総合新川橋病院 副院長・脳神経外科 顧問
佐野 公俊 医師
破裂するとくも膜下出血を引き起こす未破裂脳動脈瘤。この疾患に対して行われる手術として、開頭して瘤の根元をクリップで止める「開頭クリッピング術」が挙げられる。かつては肉眼で行われていた同手術が顕微鏡下に置き換わるという、大きな変化に深く携わったのが「ホワイト・ジャック」と呼ばれる佐野公俊医師。日本の脳外科手術に顕微鏡を用いた、いわば先駆者と言える。
佐野医師がこれまでに診てきた患者は優に3万人を超え、中心となって手がけた手術の総数は5000例以上。そのうち開頭クリッピング術は4000例あまりを数える。2000年と2001年には、ギネスブックにも開頭クリッピング手術実績数世界一として認定された。
佐野医師に医学を志すきっかけについて尋ねた。「母親が医師の家系ということもあり、親からは医師になることを勧められていました。自分も生物分野が好きだったし。手先も器用で、もの作りが楽しい。だから医師、それも外科がいいな、と考えていました」。そして慶應義塾大学医学部に入学して学ぶ中で魅せられたのが、脳の合理性だ。この症状があればこの部分に障害がある、というコンピュータのような臓器であることに、大きく興味を抱いたという。「どうせ人生一度きりだから格好良く生きたいという思いもありました(笑)。脳神経外科を選んだのはそういう理由です」
佐野医師が臨床実習を行った当時、脳神経外科では肉眼の手術が主流だった。顕微鏡下手術に注目したのは臨床実習で各科を回ったときだ。「顕微鏡は耳鼻咽喉科で既に使われており、覗かせてもらうと非常によく見えました。脳神経外科も術野はそれほど大きくありませんから、顕微鏡が使えるのではないかと考えたのです。海外では既に始まっていると聞き、それならば、と決心しました」
自分で携帯型の顕微鏡を購入し、家に帰って顕微鏡下で手を動かす練習をした佐野医師。脳神経外科で手術が始まると、顕微鏡を持ち込み、他の医師に勧めてもみた。「『たしかによく見える』と驚かれましたが、ほとんどの方は顕微鏡下の操作に慣れておらず、うまくいきません。私が代わりにやってみせて、『上手いものだなあ』となる。おかげで脳外科1年目の終わりには、かなりの数や種類の手術をやらせてもらえるようになりました」。顕微鏡下手術の優位性は、はじめから火を見るよりも明らかだった、と佐野医師は語る。「顕微鏡を使うことで、高解像度の眼を多くの術者が得ることができます。創成期に、従来の『肉眼派』との争いはありましたが、そこは手術成績で認めさせた感があります」
藤田保健衛生大学に移ってから、いよいよ顕微鏡下手術に本格的に注力したという。「自分たちの頃は、駄目で当たり前な例でも何とか引き上げようと、色々なことができました。数多くの修羅場をくぐることで、少々のことには動じなくなっていたのです」。こう述懐する佐野医師はまた、手技上達の手本としてさまざまな先人たちの技術を見て長所を集め、自分の手術を作り上げた。「こうして得たノウハウを次世代に伝えるのが、今の自分の仕事だと思っています。色々な場で発表することで、真似てくれる人が増えればと」
──術前に準備し、無駄なことをしなければ、
丁寧にゆっくり進めても手術は速くなる──
顕微鏡下クリッピング術の難しさについて佐野医師は次のように語る。「たとえば脳腫瘍で脳の一部が壊れるとは、その場所『だけ』が壊れるということ。これに対し、脳動脈瘤のような血管障害では、1つの血管にダメージが起きると、支流や末梢血管に関連する場所にまで悪影響が及んでしまいます。血管障害で事態を悪化させることは非常に怖いことなのです」。ミスを起こすだけでなく、綺麗で美しいと誰もに思われる手術を目指すことが、脳のダメージを抑えることにもなるという。「くも膜だけを切って脳の血管を浮かす行為では、一滴の血も出す必要はありません。そうすることで脳脊髄液が綺麗なまま、全体がよく見えるのです。しかしここで出血させると、くも膜に血が付いてしまい、細い血管と区別がつかなくなります。すると、別の部分を切り、さらに出血する悪循環に陥ってしまうのです」
佐野医師はこうした手術を実現するための技術を修得する上で、食事などの日常動作を利き手ではない左手で行っていたという。「かなりの人が行う一般的な方法です。指先が器用になるだけでは不十分ですし、箸とピンセットとでは違いますが、それでも指が自由に動くようにするには、やはり大切な練習です」。手本どおりに字を描くことで、指先の感覚を養うトレーニング道具も使用した。「頭のなかに描かれている字はすべて美しい。だけど、そのとおりに手が動かないので、結局はそれほど美しくない字になってしまう。このツールにより、そうした手の動きが滑らかになります」。このほか、顕微鏡下で卵の薄皮だけが残るようにドリルを行ったり、その薄皮を使って作業をしたりするトライを常に行うことで、指先の感覚を養っていたという。
また、感覚と同時に重要なのが手術の全体像をシミュレーションすること、と佐野医師は語る。「今は3次元CTなどの画像技術が発達しており、手術の最初から最後までを術前にイメージできた場合に初めて手術しましょう、となります。途中、どうしても難しくなる部分がイメージに入ってきた時は、患者さんにそのリスクのため少し難しい手術になります、と説明もできます」
今後のビジョンについて「後進に技術を伝承することが第一」と佐野医師。「そのための方策として、自分の手術をどんどん見に来てほしい。ビデオセミナーも開催していますから、ぜひ参加してほしいですね。そこで私が話すことを聴き、手術を行い、そのビデオを見ることを繰り返す。熟達の道はこれしかありません。困ったらいつでも相談しに来てほしい。私は自分のノウハウを全部残していくつもりですから」
佐野医師が若手の医師に徹底させているのが、術前にしっかりシェーマ(カルテなどに描く部位の絵図)を描き、そのイメージどおりに手術を行い、術後にもう一度描いて術前のものと比べる作業である。ここで術前術後がほぼ同じなら、手術がうまく綺麗に行われたということだ。加えて、自分で手がけた手術の映像を普通のスピードで見ることも指導している。「誰でも、自分では速くやっているイメージがあります。しかし実際に映像を見ると、ここで切ればよいのにそのまま残してしまうという無駄や、逡巡している自分の姿が明らかになります」
本番で迷い戸惑うのは、術前の準備が不足しているから。「手術中に考える」ことをすべて術前に考えておけば手術時間は速くなる、と佐野医師。「無駄なことをしなければ、丁寧にゆっくりやっても手術は速くなるものです。今の若い人は一人あたり携われる症例数は限られています。一つひとつの症例を大切にし、自分のビデオを何度も反復して見て無駄に気づき、次はその部分を全部なくそうとする姿勢が大切です」
教え子の一人から「先生、ブラック・ジャック(手塚治虫の同名漫画の登場人物)みたいですね」と言われ、「ブラック・ジャックは無免許だけど、自分は免許を持っているからホワイト・ジャックかな」と答えたのが、冒頭の代名詞を生んだ背景である。佐野医師の指導のもと、これからも数多くの若きホワイト・ジャックが誕生していくことを願わずにはいられない。