投稿日: 2017年8月24日 12:09 | 更新:2024年1月19日14:38
『手術は数こそ質である』をモットーに
培った技術で更なる高みを目指す
人工心肺を用いない(オフポンプ)で行う冠動脈バイパス手術の権威として、国内外から高い評価を受けてきた新浪博士医師。研ぎ澄まされたその高い技術は、どのように育まれ、そして発展してきたのか。その活躍の原点と、手術への熱い思いを聞いた。
■取材
東京女子医科大学病院
心臓血管外科 教授
新浪 博士 医師
中学から高校にかけ、映画やテレビドラマの「白い巨塔」で田宮二郎が演じる財前五郎にすっかり魅せられ、外科医を志した新浪博士医師。小さな頃から手先が器用だったこともあり、医学生になると手先の器用さを生かせる心臓外科を選択した。その後、新浪医師が心臓外科医としてステップアップする大きな転機は3つあった。それが米国留学、豪州留学、そして順天堂大学で天野篤医師(現・院長)とともに過ごした3年間である。
「米国には東京女子医科大学の院生として、重症心不全に対し骨格筋を使って心臓をサポートするという研究の目的で、デトロイトの大学で2年間を過ごしました。ここはドイツ、イギリス、中国、アフガニスタンなど世界中から人が集まるインターナショナルな場。欧州などの事情も学べ、良い友人を作ることもできました」
この研究を基に、さらに豪州の2つの病院で臨床経験を積む。新浪医師にはもともと冠動脈バイパス手術への強い願望があった。ほどよくシドニーの病院から誘いを受け、2年間で200例あまりの手術をここで手がけることになる。それは助手ではなく自ら執刀するもので、その約8割が冠動脈バイパス手術だった。当時はまだオフポンプのバイパス手術は行われておらず、人工心肺を使用するものだったが、新浪医師は年下のレジデントと2人で手術をすることができたという。
新浪医師自身も、外科医としてどこかで厳しいトレーニングを積む時期が必要と考えていたが、それがまさにこのときだった。異国の地で地元の豪州人も含めて多く外科医がトレーニングを受けているなか、実力を認められて自分が手術をさせてもらったことは大きな自信につながる。「これは行けるのではないかと思いました。自分は当時34歳。チャンスをくれないのなら心臓外科医をやめてもいいと思っていましたから」
──手術の質を高めるためには、常に患者さん
への+αにチャレンジすることが大切──
東京女子医科大学に戻った新浪医師は、ほどなく第二病院(現・東医療センター)に移り、オフポンプでの冠動脈バイパス手術を開始する。そしてこの頃、さまざまな学会で順天堂大学の天野医師と接するようになった。「よかったらうちに来て一緒にやらないか、僕の隣の手術室を先生に渡すから」と勧められた新浪医師は、天野医師がどういうやり方をしているのか、その様子を見るだけでも勉強になると思い、快諾した。そして3年間を天野医師とともに過ごした新浪医師だが、一緒に手術室に入ったのは3例のみ。それでも天野医師の手術を見に行き、こういう手術をするのだな、と大きな刺激を受けたという。
ここで新浪医師は、天野医師から忘れられない印象的な言葉を聞くことになる。それは新浪医師の手術で、左前下行枝という重要な血管に関し、普通は内胸動脈で1カ所バイパスするところを3カ所、それも心臓の一番先端の部分をバイパスする手術症例であった。
このとき、術前説明で天野医師は、「そこやらないの? もう一歩やってあげた方が、この患者さんにとってはベターだよね」と新浪医師に声をかけたのだ。「当時40歳そこそこの自分はヒートアップしましたね。でもあの人は、そういうことを自分でも常に実践していたのです。クオリティの高い手術を行うために、プラスアルファを患者さんにしてあげるチャレンジの大切さを、私は天野先生から学んだと思います」
新浪医師は毎朝カンファレンスを行い、手術予定のある患者の状況について、電子カルテをスクリーンに映し出し、ディスカッションする。冠動脈バイパス手術では、バイパスが必要な場所など患者についての基本的なことは把握した上で、使用するグラフトの選択などについて検討する。
ここで患者のバックグラウンドを反芻すると、プランが2つ3つ浮かんでくる場合がある。これらのプランからどれを選択するか、新浪医師は翌日手術予定の患者について、夜の就寝前に再検討する。そこで絶対に禁忌なのが、妥協することだという。「この患者さんにとっては、本当は内胸動脈を2本使うのがよい。それを1本にして片方を静脈にすれば、たしかに手術は速くなり、患者さんもたぶん早く退院できる。でも自分は患者さんの10年後を考えなければいけませんから」
はじめから単一プランの患者さん、そしてプラン2、3が浮かばない患者さんもいる、と新浪医師。寝る前にいろいろ考えても完全には決定せず、当日の朝、突然やっぱりこの方法にする、と助手の先生に伝えることもしばしばあるという。
「自分の技量、今までやってきた経験でできるベストな方法を考え抜きます。最終的にどのプランで行くのかを決めるのは手術室ですが、そのベースに先述の天野先生の言葉『もう一歩やってあげた方が、この患者さんにとってはベター』が効いていることはたしかです」
いまでも年間300例あまりの手術をこなす新浪医師は、手術は数こそ質である、とよく話す。日本ではいま年間約6万件の開心術が行われているが、専門医は2000人ほど。単純計算で1人あたり年間30件ほどしか回ってこないことになる。これが他の先進国、たとえば豪州だと、最低で年間200例の手術をしないと、スキルがメンテナンスできないとされる。「わが国では数をこなすことが質につながる体制がまだ整っていないのが残念」と新浪医師。「自分は手術がやりたくて外科医になりましたから。自分からメスを取り上げたら、自分には何の存在価値もないと思っています」
今後のビジョンについて新浪医師は、海外へのさまざまな貢献を真っ先に挙げる。同センターでは数年前からタイやミャンマーといった東南アジア諸国から研究生を受け入れるなど、国際的な医師育成に貢献するとともに、メディカルニューウェイブという一般社団法人を立ち上げ、留学生への経済援助を行っている。
またJICA(独立行政法人国際協力機構)の事業の一環で、東南アジア諸国における新しい病院開設や運営への支援も計画している。この一連の動きを、新浪医師は、アジアにおける日本の使命と感じている。
心臓外科は欧米で発達した医療分野で、日本はいわば途中参画した存在である。しかし冠動脈バイパス手術は、日本では7割がオフポンプで行われており、動脈グラフトも多く使われるなど、欧米とは違う形で発展、その成績が大変良好であることは、国内外で広く評価されている。「この術式の患者さんへのメリットを今後日本からより多く発信したいと考えています。自分はいま55歳。あと10年はアクティブにやれると思っています」